落語を知らない人は、みんなそれぞれの噺家がオリジナルの話しをやっていると思いがちですが、(オリジナルがないわけではない)実際はだいたいみんな同じ話をしています。
たとえばYoutubeで「芝浜」と検索すると、「古今亭志ん朝の芝浜」、「立川談志の芝浜」、「三遊亭円楽の芝浜」と同じ演目で沢山の話し家がでてきます。
なので、落語に触れる機会が多ければ多いほど、話しの先の展開は知っているし、サゲ(オチのことを落語ではこういう)も知っています。
じゃあ、なにが楽しいんだ?という話しになりますが、同じ話でも細かいところを変えたり、登場人物の描写を変えたり、噺家が違うと、こうも違う物かという事を楽しんでいます。
本日、柳家小三治師匠がお亡くなりになられたとのこと、
「芝浜」という話しがあります。
この「芝浜」は酒に飲まれて働くのがイヤになった亭主が女房に懇願されて久しぶりに浜にいくと、大金の入った財布を拾う。
これで働く必要がないという旦那に、拾った物を自分の懐にいれたら捕まると、女房は酒を飲ませ、必死にそれは夢だと思い込ませる。
あくる朝目覚めた亭主は夢だと思い込み、酒瓶とあまりの借金の多さに心を入れ替えて働きだす。
三年後の大晦日、借金をすべて返し終わったところで、女房が旦那にあれは夢じゃなかったと嘘をついていたことを告白する。そこの描写が本当に落語家の腕の見せ所というか、うまい人は女房の気持ちに感情移入して泣きたくなるぐらいうまい。
女房と亭主の人情話。
柳家小三治師匠はこの芝浜での夜明けの描写が秀逸で、初めて聞いたとき、目の前にその景色が浮かびあがり感動したのを覚えています。
女房の描写もいい!
「芝浜」は年末に聞くのが定番中の定番です。10月に聞く話ではないです。
師匠、ちいとばかり、せっかち過ぎじゃないですかね?